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治癒

by 中村菜月

密かに、自分というものが分かってきたあとの生き方は治癒なんじゃないかと思っている。

幼い頃に受けたさまざまな傷 – 家庭環境、学校でのいじめ、見つけられない居場所

さまざまである。何の傷も受けずにすくすくと育った人っているのかな。

なんか面倒でちょっと簡単な言葉で済ませてしまった。というか、今詳しく書き出したら気が滅入りそうだったから、ごめんね。

そんなこんなが刻まれて、染み込んで、蓄積されて年が経つうちに、だんだんと自分が抱えている問題点に気がついていく。

なんだか辛いけど堪えてやりすごしていて、気がつくまでに時間がかかった。

というか、堪えないとやっていけなくて、とうの昔に感情を捨ててしまった。

自分のはなしはまあいいや。これについてはもう少し、整理する必要があるからね ◎

そんなこんなで自分というものが分かってきたあたりから、なんとなく自分の生き方が方向付けられたり、
何かを始めたり、人に出会ったり、好きなものをみつけたり、する。している。

不思議だな、と思うのは、自分のやることに違和感が無いということ。


初めてやったことのはずなのになぜかそのイメージはもともとあった、とか
全然違うことをはじめたハズなのに自分の中では点と点が線でつながっている/急に繋がった、とか

妙にすとんと腑に落ちる。

行動を起こす人は、何か変えてやろうっていうギラギラ、きらきらしたものがある。
それは傷の元となった何かに対しての復讐のようなものを、プラスの方向性を持ったものに変換しているような感覚がある。

みんなが幸せになりますように、傷を受けませんように

こういう類いの願いは随分とある。とくに自分自身が受けた傷がもう誰にも与えられないようにと、
そう思うのは自然なことのような気がする。

なのに、どうだ。傷を受けなければ、今の自分はきっといない。

なにをしていたか分からない。自分は今の自分がすきで(ただすきってわけでもないけど)、
この生き方が一番現実的だと思っている。

大好きなうたも、傷が無ければ生み出されなかっただろうものがたくさんある。
それに、何も痛みを受けなかったら、あなたの大好きなそれもきっとなんでもないまま、あなたはとおりすぎていったでしょ?

どうすればいい?

傷なんて無ければいいはずなのに、それが無ければここには無かったような素晴らしいものが
たくさんある。

自分の傷を癒すため、同じような痛みを取り除くためにおこなうさまざまなことは
自分のこの先の生き方に関わるもので、治癒だと今は思っている。

いろいろな人がいろいろに行動しても、どうしてもすべての痛みを消すことはきっとできない。
それは、なにが痛みになるのかはさまざまだから、だと今は思いたい。

そうやって痛みを治しながら動いていく世界は、すこしずつ優しくなっていくのかな。

おしまい


中村菜月
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