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風景

by 中村菜月

風景は語らない。だから風景は、何も教えてはくれない。

風景から何かを学び取ったとすればそれは、自分の解釈に何かが加わっただけだ。自分の中から、勝手に発生してきたものだ。風景はただそこにあるだけで、あなたがただ「勝手に」何かを得ただけだ。

わたしは何かを、「これはこうだ」と断言することが苦手。
あとになってああ違ったやと気がつき、あるいは考えが変わり、言ってしまったこと、相手に考えを植え付けてしまったことをひどく引きずってしまうから。自分の考えが誰かの否定になっていないかと心配で仕方が無いから。言葉足らずで伝えきれないただの無知なこわがりです。
誰だってきっとそうだとわかっていても、です。

だけど今は断言しておかなければ、そう信じておかなければならないから、あえてこのように書く。

風景は語りません。

わたしはおさんぽがすきで、さんぽをしながら色々なことを考える。見る。聴く。嗅ぐ。描く。確かめる。触れる。

風景が何かを語っているとからだのすべてで、願っているようなにんげんだ。

だけど風景は語らないよと、そう理解している。

風景に答えを求めても無駄だ。風景は語らないから。風景を見た自分と、風景を見ていなかった自分の中に何かしらの変化が起こるだけで、風景が自分に与えてきたものではない。

遠くへ行っても、そこはだれかにとっての近くで、実際にそこにあるのは私がさっき歩いていたようなアスファルトの坂道と同じ程度の日常だ。
特別で新しくて面白くて、自分に何かを与えてくれるように感じるのは自分の日常とはちがうから。

自分である限り、自分は自分をはみ出すことはなくただただ自分という枠を押し広げていくだけだ。
自分である限り、どんな風景を見たってそこには必ず自分というフィルターがかかる。

わたしたちは同じ時間と空間を共有しながらも、自分という枠の内側でしか生きられない。外側にでた、と感じられるような変化があったとしても、それは枠が広がっただけだ。でることは決して無い。

何を言いたいかというと、

あまり、自分で自分を責めないでおくれ。

今はそれしか言えない。だけどそれがすごく重要なんだ。

何かを探して、探して探して、風景の彼方を彷徨っても
自分からは1ミリも離れることはできない。

どうやっても自分を許すことができるのは自分だけだ。風景は何も許さない。語らないのだから。

わたしがお願いできるのはこれだけだ。

あまり、自分で自分を苦しめないでおくれ。風景はあなたを救わない。あなたを救うのは風景を見たあなただ。
それを聞き入れる努力をするのもあなただ。

今はまだそれしか言えない。


中村菜月
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