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対話

by 中村菜月

報われない。「努力は報われない」というのが私の座右の銘にある。この言葉に自分はいろんな意味を含めている。


ひとつは、自分が努力したと思ったことが何も成らなかった時に、そう考えている方が落ち込まなくて済むということ。
実際は悔しいし落ち込むしひきずるんだけどね……

それでも感情のエラーが最小にとどめられて、何が足りなかったのか、次は何をしようかということをわくわく考える時間にすぐに切り替えられる。

たぶん、努力は報われるべきだと心の何処かで強く思っているし、努力している人にはそれなりの何か良いことがあるといいなとも思っている。

もっと頭がよければ、勘がよければ、計画性があれば、的確な努力、というものもあるだろうけれど。解したいところに針を打つような精確さがあればいいのだろうけど……。

そもそも、努力という言葉がそんなに好きじゃないのかもしれない。無理矢理頑張っている気がするし、無理矢理頑張ることが必ずしもいいとは言い切れない気がしているから。

努力している人は報われなくちゃいけないようなかんじも、なんだかなあ。

何がせいかいなのかわかんないや。
努力しているという感覚をもちたくない。
実際、もってない気がする。努力、してないのかな、してないか……(笑)

すごく思う。「今自分はこれに一番力を注いでいる」と感じながらやっていることは空振りが多くて、代わりに全く気がつかなかったような、期待もなにもなかったような、忘れていたような所から突然うれしいことが飛んでくる。
それがすごくよくある。


これがすごく不思議で、でも大事なことだって思っていて、努力に報われる必要はないと思えるいちばんの理由かもしれない。

制作や、それ以外の活動には「対話」的な側面があると思っている。直接言葉を交わすわけではないし、相手の姿も分からない。非同期である。ものすごい時差があることだってある。対話の相手がまだ生まれていない可能性だってある。


本当に伝わっているのか分からないし、誰も見ていないかもしれない。

そういう不安のようなものは絶えないけど、不思議なくらいに誰かが受け取ってくれる。わたしはうれしいよ。

何にも成らなかったとか、これは無駄だったとか、そういうものは無いのかもしれない。わたしは無いと思っている。

吐き捨てても吐き捨てても誰かが拾ってくれる。拾ってくれるひとは本当にすごいなとおもう。

自分にはまだ、そういう、拾い上げる力はないかもしれない。でもそうなれたらいいな。

「誰かに」「誰かが」の誰かがどこにもいないのは寂しいもんなあ。一人で生きているわけじゃないから生きていけるし、一人で生きているわけじゃないからいろいろなことが必要でいることができるんだなと思っている。

最近そう思えるようになったよ◎

おしまい




中村菜月
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