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ゆれる

by 中村菜月

表面に出せているぶん、よいのではないのですか。

たぶんそう言った。心配している人をなだめる/心配されている人をかばう
そういう意味もある

でもそのときにいちばん考えていたのは、そうやって人を気にかけさせることができるのはある意味才能で、羨ましいなということだ

自分はそれができない。でもこうやって今文にしていることはたぶん大きな進歩で、でもひとつひとつが怖くて、何が怖いのかも整理がつかなくてぼろぼろと泣いている。

わたしは何でもかんでもを表面に出せていない。気軽に出せない。たとえあらゆるひとが気軽でない状態で中のものを表面に出しているのだとしても、それは私にとって随分と気軽なことだ

出てきたところでアクセサリーになったように感じるし、滲み出ているものは輪郭になってしまう。安っぽく感じられて仕方がなくて、そう感じてしまう自分が嫌だ

すべてを除外するような言葉には冷める。寂しくなる。
だけどそれを使えばどこか落ち着くことができるのかもしれない。それは自分の周りに線を引いて立ち入り禁止の紙を貼り付けるようなものだ

にこにこしているからといってからかうことは辞めて欲しい。私は一つ一つを許すことができない。
すべてを引きずっているし強く深く刻み付けられている。それが苦しくて仕方がないから親密になることよりも表面的な関係を望む。

最近このことをよく考えるようになって、その度に苦しさと恐怖で涙がとまらなくなる。眠れなくなる。

ずっと閉じ籠めていた自分が出てこようとしている気がして、その混乱が激しい。自分にもちゃんとした感情があるのかもしれない。やっとの思いで文にしている。

他人が恐怖で仕方がないけど、自分を引っ張り出しているのはわたしの周りの人々だと思って、それがあたたかくて、人はそんなに怖いものじゃないよと自分に教える必要がでてきたから、書くことにした。

絵を描くことと、自分がこうであることはできるだけ無関係であるように、と自分はそう思っている節がある。自分にたいして、普通の人が絵を描いているという認識が強かったしその方が関わりやすいと、たぶん何処かで思っていた。

絵を描く人ってやっぱり変わってるんですね、という考えが嫌だった。そうやって描くひと、描かないひとの間に線が引かれるのが嫌だった。
そして苦しみのようなものと表現が結び付いたとたんに、上に書いた様々のようになんだか薄っぺらいと感じてしまう。ひどいときはただ構ってもらうために自分の苦しみを道具にしているなと感じる。黙って座っている方が余程伝わるんじゃないかと思ってしまう。
表現が弱いのだろうか。

そんなことを考えすぎて、自分は結局何もできないひとのようになって、自分というものについて気が付くことに時間がかかった。そして考えも変わったように思う。

すこしずつ、表現することに変換していけたらと思う。自分はもう少し「自分のために」という何かを考えてもいい。「誰かのため」が強すぎて、薄っぺらくなっていた

ひとの目に触れる部分のすべてが表現である。自分は誰にも見つからない触れられないところで祈る。すこしずつあたたかくなりますように



中村菜月
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