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消える

by 中村菜月

  ああ、月が目の前に。目の前、というのはビルの隣でやたらと大きく見えるあのような月のことではない。あと五センチメートルも近付けば私の鼻を削る、そのような目の前だ。それも、私はひとり部屋で背中とシャツとの間に熱を溜めながら仰向けに寝転がり、足で理由もなくカーテンを引きずっている。そこに月があるのだ。

  何故目の前に月があるのか。これは夢だ、と考えてみる。けれども、とっさに夢の存在を思い出せるような状況であればそれは大抵夢ではない。やはり、たった目の前に月があるのだ。

  何故それが月だと言えるのか。仰向けになった私が何の無理もないように視線を置くと、カーテンの隙間から月が見えた。その月が徐々に、徐々に近くなり、周囲のあらゆるものを破壊するのではなく、音も立てずに組み込みながら、或いは混ぜながら、空気中に息を吐くように、海に一杯の水を注ぐように、ひとつ。そしていよいよ私の目の前にやって来たのである。

  これは、あれだ。私には心当りがあった。これは、誰かの意識の中にある私だ。そしてたった今、その誰かの中から「私」が消えるのだ。私とほぼ同一の私、とは別に、関わるすべてのあらゆる人の意識の中に、それぞれの「私」がいる。無数にいる。そのうちの一人である、誰かの中のこの「私」が消える。何かしら、ソリが合わなかったのだろう。それにしても、「月にしてしまう」とは、なんというかロマンチックだ。消し方というのはさまざまで、最後に一緒にお茶なんかして穏やかに離れようとする人もいれば、問答無用で音信不通、なんてこともある。金平糖にして瓶にコレクションするようなサイコパスもいるし、ミックスジュース、という運命もある。そうか、この人は月かあ。私は穏やかに光り、ぼんやりと街を眺めていた。

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