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日溜まりにころがる

by 中村菜月

  朝、腹いせのように鳴らされたトラックのクラクション音にめげて会社を辞めた。流れで彼女に一方的な別れ話をLINEで送り、そのままブロックした。ネット上のアカウントも全て削除し、スマホの解約まで済ませて、十三時。駅前のベンチで、二五〇円で買った生春巻を食べている。積み重ねてきたものを全て失った記念の食事である。失うことには半日もかからなかった。最近焼けた首里城に思いを馳せる。

  自分に残ったものは何だろうかと考える。運転免許証、家賃、光熱費、税金、親戚、日用品、貯金、……。連絡手段を持たない今、自分にはもう友人もいないのかもしれない。どう生きよう、と考える。カラスが一羽、私から少し離れたところへ降り立った。何となく、生春巻に付いていた味噌のカップを足元に置いてみる。カラスはこちらの様子を伺いながら、恐る恐る近寄っては後ろに跳びはね、を繰り返し、味噌を奪った。少し離れたところで、づくづくとつつきながら味噌を食べ始めた。かわいいなあ、と眺めていたら、別のカラスが二羽、三羽と集まり、たちまち集団になって味噌を食らい始めた。私はその様子が恐ろしくなって、歩いて近寄り、カラスを追い払った。ボロボロになったカップを拾い上げてビニール袋へ入れた。カラスとも上手くやれなかった、と気が沈んだ。希望というものはどこにも無いのかもしれない。

   午後の路地を歩いていた。あれだけ社会に溶け込んでいるように感じていた出勤用の服装が、この時間帯のこの場所ではぎこちなく、漠然とした「この先」を考えることよりも余程不安な気持ちになる。廃ビルの敷地の端にはグシャグシャとゴミが棄てられている。それは折れたビニール傘だったり、何らかの木材だったり、トイレの便座だったりと酷い有り様で、希望の欠片もないこの世界がそのまま表されているようだ。

   カシャ。それはスマホのシャッター音である。見れば、私の横に立ちゴミを撮影する女性。白いワンピースに白いタイツ、革靴までもが白い。怖い。よせばいいのに、話し掛けてしまった。

  「何でゴミ撮ってんですか?」

  「あ、えっ?!  綺麗だからです。」

  そう言うと彼女はぴょこぴょこと立ち去った。ゴミを見て綺麗だとか無いわ、感性が違った、やっぱりよせばよかった。綺麗、という言葉が信用出来なくて、もう一度ゴミ溜めを見た。日溜まりの中に、この間違った場所に、用途を剥がれたモノたちが転がっている。それはまるで自分に似ている。

  「あれ、綺麗……かもしれない。」

   不思議な感覚だった。きっと近寄れば、汚くて触れることも拒むだろう。けれども、適切に扱われている間はおそらく出会わないであろうモノたちが、普通であれば有り得ない場所に在るということ、そこに日溜まりが出来ているということに描写し難い感情をおぼえた。それは、ただゴミだからだという理由で汚ならしく感じ、眺めていた時の自分とは明らかに違っていた。それがゴミであるというレッテルは剥がれ、日溜まりの中にモノたちが転がっている。事実はひとつも変わらないのに。世界にはきっと希望なんて無いのだろう。けれども、絶望も無いのかもしれない。そこにあるのは、事実と、それを捉える視点だけなのかもしれない。一つずつ肯定して、希望を見出だしていくだけなのかもしれない、生き方というものは。たったさっき、自分は、自分に似ていると感じたゴミを美しく感じたのだ。

  たった半日で多くのことを失った。殆ど空っぽになった自分に、何が詰まっていくのだろう。まるで初めてのものを見るように、私は日溜まりを眺めていた。

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